​Yaeko IWAMI

​イワミ ヤエコ

私はもともとセラピーとは無縁の人生を歩んできました。

これまで、ずっとさまざまなNGOやNPOなどの社会貢献分野で働いてきました。


大きな転換期は、震災で大きな被害を受けた​岩手県の大槌町で、町の応援職員として在籍中のことでした。

その町で、盛岡で経験を積み、町に帰ってきて開業されたアロマセラピストの女性と出会い、とても感銘を受けたこと、さらに同じ時期に、突然母の末期がんが発見され、療養中の母の慰めになればと、母にしていたハンドやフットマッサージなどの経験から、人々の心身を癒すことが自分のライフワークなのではないか?将来、人々を癒せる、強くて優しいセラピストになりたい、と思いました。

さらに、私自身も、被災地の仕事や生活のストレス、突然の母の死で、心身のバランスを崩したことも大きなきっかけでした。不眠などのさまざまな不調が押し寄せてきて、どうしても仕事を続けることができなくなってしまいました。

ほとんど休みなく、母の看病を続け、葬儀などに追われた後に、仕事がどうしても気がかりで、ほとんど休まず岩手に舞い戻り、職場復帰をしてしまったためだったと思います。

今思えば、社会のため、人のために生きていくことで、ずっと無理してきた、自分の心と身体が、とうとう悲鳴を上げたのでしょう。

4年半以上暮らした岩手を離れることは、つらい決断でしたが、仕事を辞め、横浜の実家に戻りました。

そして、その後、自分でもどうしてかわからないまま、タイやインドを旅しました。

タイでは、瞑想修行やマインドフルネスのリトリートに参加し、インドでは、年にも似合わず、北インドをバックパッカーで放浪しました。

そこで出会った人々や、宗教や、自然が、知らず知らずのうちにエネルギーを与えてくれて、枯渇した私の心身に、新しい生命を吹きこんでくれたように思います。

そして旅から帰ってきて、やはりセラピストの世界を目指そうと、修業の日々が始まりました。

最初は、昔住んでいたシェアハウスで、プロのインストラクターをしていた長年の友人からアロマテラピーの基礎や解剖学、実技などを教えてもらいました。そしてシェアハウスに再び暮らすことになり、一緒に住んでいるシェアメイトたちにモデルになってもらいながらの勉強の日々でした。

ちょうどそんな中、コロナが世界全体に広まり始め、社会もまた大きく変わり始めました。

その後、西洋のアロマだけではなく、東洋のリラクゼーションにも挑戦していきたいと思いました。

年齢的にも、未経験でサロンで働くのは難しい中、やはりご縁があったのはタイでした。

横浜や都内のタイ古式マッサージ店で働き、人々の身体に触れながら、直に勉強をさせてもらいました。

でもお店では、次から次へと人がやってきて、時間制限もあり、ゆっくりお客様とお話しすることができません。

お店での経験はもちろんすごく勉強になりましたし、大切な経験で、私を迎えてくださったお店の方々にはとても感謝していますが、一度に多くのお客様を相手する仕事は、本来私が望む、お一人お一人と丁寧に向き合うセラピーとは、やはり何かが決定的に違う気がしました。

やはり、自分で自分の場所をつくりたい、自分のサロンを立ち上げたい。そんな思いは働いていくうちに、日に日に強くなっていきました。


そして、ご縁があって辿り着いた、ここ鎌倉・腰越は、海からも近く、龍神様の見守る江の島も徒歩圏内で、自然の豊かさと、どこかのんびりとした時間の流れる、本来スローな自分ともピッタリな土地でした。

また、昔住んでいた岩手の漁師町の風景にも似ていて、とてもご縁を感じます。

パーヘンセンディーという名前は、タイ語で「陽光のあふれる森」。私がタイで瞑想修行をしていた時にいただいた洗礼名「Forest of Sunlight」という名前と、同じくタイで偶然訪れた、カレン族の村の森にさす美しい陽光のイメージから名付けました。

世界が目まぐるしく変わっていく中、日常のせわしなさで、疲れを感じている方が、ふらりと立ち寄り、光あふれる森で深呼吸するように、腰越のゆったりとした時間の中で、心も身体も癒される場所、本当の自分に戻れる場所、少しでもそんな場所となることを心から願っています。​


趣味:海、散歩、旅、おいしいものを食べること、お酒、音楽、映画、アート


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